古道を訪ねて
古の道路づくり鎌倉街道
古代の道、第2弾、先月号で1300年前の東山道を紹介しましたが、今月はもう少し後の、今から約800年位前の鎌倉街道をご紹介いたします。
何か良い資料はないかと思案をしておりますと、筆者の住んでいる埼玉県栗橋町に、鎌倉街道と地元で伝承されている道跡が残っていると聞き、町外れにある防風林みたいなあぜ道を散策してみました。
中世の道 鎌倉街道(埼玉県)
鎌倉街道跡と伝承されるあぜ道は、周囲の土地より1~2mほど高い小さな土手筋の形をしており、左右には防風林のような木が立ち並んだ中を、1~2m幅の溝状のあぜ道が走っています。
ここが鎌倉街道跡かもしれないと思わせるものに、溝状あぜ道の途中に地蔵さんのような祠が点在し、街道跡の脇にはこじんまりとした神社もあります。
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往時をしのぶ「鎌倉街道」の道標が立っている
そんな中、またも埼玉県立歴史資料館にお知恵を拝借し、本当の鎌倉街道(図1)はどれであったのだろうか、また、どのようなものであるのか、ご享受願いました。
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図1 埼玉県内の主な鎌倉街道
資料によると、鎌倉街道は、幹線道路で大きく分けて3本あり、先に筆者のいる栗橋方面を通っているのも、そのうちの1本で、鎌倉街道の中道と言うことでした。
すべて、鎌倉から関東の国府や、豪族の居た館を抜け、「いざ、鎌倉へ」と、何か事ある時に、鎌倉幕府へ急行できるように整備されていたものです。
筆者が考えるに、鎌倉街道は歴史的にも特異な生い立ちで、通常の街道とは違った役割を果たした街道と、位置付けています。
まず第1に、鎌倉時代だけの必要ルートが存在した事。
既存の街道とは別に、鎌倉から関東各地の国府、豪族の館を直線的に結んだ政治的な色合いの強いルートになっています。
第2に、前後の時代と比較して、少し特異な構造をしたいたのではないかという事。
特徴的なのは、いわゆる掘割状の道路構造です。これがすべてではないでしょうが、道路の両側が盛り上がっており、その中に道路が造られているといった構造で、道路幅も4~5m位、狭いところでは2~3m位とのこと。
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木立ちの中を1~2m幅の溝状のあぜ道が続く
構造的には、律令時代の道路と同じですが、路盤の構造が簡易的であります。が、道路の中央部を高くし、横断傾斜を取って排水を考慮してある断面は、現代の道路構造に近く、なかなか良くできていると感心させられます。
以上、これらのことを総合して私なりに考察すれば、鎌倉街道は、軍用道路的な色合いが強いと結論づけました。
なぜなら、幹線道路が鎌倉に向かい直線的で、間を結ぶ間道が網目のように張り巡らされていたこと。道路幅が狭いこと、堀割状であることにより、武士団の移動が隠密的に出来やすい事等、「いざ鎌倉」の言い伝えを考え合わせると、鎌倉幕府へいち早くはせ参じるためには、以上のような理由で作られた軍用道路と考察する方が、無難ではないでしょうか。
いずれにせよ、道路作りの歴史からすれば、 貴重な中間点の構造資料には間違いありません。
※資料
埼玉県立歴史資料館資料
比企歴史の丘教室 吉見町教育委員会 太田健一氏講演会より抜粋。
第30回国際農業機械展in帯広
世界を舞台に、4年に1度開催される「第30回国際農業機械展」は、8月23日から27日、北海道帯広市の愛国町において過去最大規模で、開催されました。
今回は、30回目の節目にあたるとともに、21世紀最初の開催となるため、出展社もそれぞれ、自社のPRに力を入れ、101社約2000点の展示機種をそろえました。
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「未来豊かな新世紀農業へ」をテーマに開かれた第30回国際農業機械展in帯広
来場者も約23万人をかぞえた
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最新鋭機が勢揃いしたサカイとJCBのブース
サカイも、農業土木部門である輸入機械販売促進室:帯広出張所が中心となり、イギリスのJCB社と提携している時速65kmで走行可能なトラクター、ファーストトラックをはじめ、バケットアームが伸び縮みするショベルのロードオール等、大規模農業・酪農・畜産に適応した製品等をそろえて展示しました。
サカイも英国JCB社と協力出展
世界的技術を国内農業産業に提案
サカイ、JCBのブースでは、イギリスJCB社の協力を得て、1日何回も機械のサーカスなどのデモンストレーションを行い、来場者の関心を一身に集めていました。
これらは、JCB社の堅牢な効率の良い農業機械をアピールし、あわせて、世界に通用する農業産業の将来像を国内農業に提言しようとするものです。
デモンストレーションは、動きの少ない他社ブースに比べ、多大な関心事を見学者に与えるとともに、好評を博していました。
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1日何回も行われたデモンストレーション。
アクロバチックな動きに来場者の注目を集めていた